歴史を遡ること第40 代天武天皇、676 年、⼰末8⽉15⽇勤請、社紀⽂書、⼝碑によると、神社のあったところを⿓ヶ峰といったそうです。⼤⼰貴神は、国⼟平定のために⾼志(越)にいらっしゃった時、この円⽥沖に船を⼊れ、⿓ヶ峰に船を繋ぎ上り、この峰に⼀祠を⽴たれました。これが神社を建てた始まりとなります。天武天皇13 年、⼰⾣、地⽅巡察便の中⾂朝⾂清麿が当社に賽し、御神威をあらたかに神殿を建⽴されました。
この後、巡察便が来るたびに参拝し、幣帛を奉ることが先例となりました。桓武天皇延歴16 年、坂上⽥村麿が奥⽻征討の際に宿陣し、戦勝を祈願し、祈願⽂と⽮2筋を奉納されました。醍醐天皇延喜発亥3 年、圓⽥神社と改称したと延喜神明帳に記載されています。天⽂16 年、春⽇⼭城主、⻑尾景⻁が兄弟で争っていた際、当社に参拝し戦勝祈願⽂を奉納され、その後、⻑尾晴景を滅ぼした時に、謝⽂と宝剣、⼤太⼑を奉納されました。天明元年7⽉25⽇、⽕災により社殿と社庫が消失してしまいます。天明5 年4 ⽉に社殿が建⽴され、嘉永8 年5 ⽉、現在の社殿が建⽴され、昭和19 年に現在の幣殿が建⽴されました。
平成から令和への御代替わりの儀式にあたっては、⽒⼦崇敬者をはじめとする奉賛会からたくさんの奉賛を賜り、ご協⼒のもとに、参道や⼿⽔舎の整備、⽴⽊の撤去などの御代替わりの⼀⼤奉賛事業を⾏うことができました。
圓田神社御守り【大】(紫、白)
古くから伝わる圓田神社の総合的な御守り。
初穂料 1000円
送付可能
圓田神社祈祷札
圓田神社のお札。神棚もしくは目線よりも高い位置にお祀りします。
初穂料 1000円
送付可能
寅根付け型御守り(黄、桃色、白、水色)
今年の干支である寅の根付型の御守り。
初穂料 1000円
送付可能